概要

財団法人辛酉会の創立とその目的

  1. 所在地 仙台市青葉区星陵町1番1号
  2. 設立年月日 大正10年11月26日
    認可者 宮城県知事(設立時は内務大臣)
  3. 財団設立の経緯

 東北大学医学部附属病院が、宮城県立宮城病院を前身として現在地の星陵町(旧北四番丁)に設置されたのは大正2年3月で、以来、教育 研究、診療の場として、また東北地方中枢の医療機関として重要な役割を果たして来た。

 財団法人辛酉会は、大学病院の機能を発揮できるようにするため、当時の医学部附属病院長熊谷岱蔵教授の提唱により、医学部及び同附属病院の教職員並びに、院内外の有志の賛助金、寄附金5,000円83銭を基本金として、大正10年4月、財団設立認可申請を宮城県知事および仙台市長を経由して、当時の内務大臣床次竹二郎宛に提出し、11月26日付にて許可書の交付を受けて開設された。

 なお、「辛酉」の名称は、設立年度が大正10年であったことからその年の干支である辛(かのと)、酉(とり)から由来したものである。

 設立の趣意書によると、東北帝国大学医学部には、当時学生約200名、附属病院入院患者約500名、学部並びに病院職員約150名、看護婦約300名、附添婦約150名の総数約1,300名以上の人達が医学部および附属病院内で生活していた。本会は、これら多数の人達に対し福利厚生事業財団として、次の事業を開始し、便宜を図ってきた。

(1) 入院患者に対し日用品、金銭の補給と病室内に盆栽花等を配置、ある時は音楽会や演芸会を催し患者の慰安につとめ、外来 患者に対しては、待ち時間の不快感を癒すため、無料休憩所を設けて湯茶等の接待をする慰安部の事業を開始した。

(2) 医学部および附属病院は、市街西北部の位置に偏在し、当時としては日常生活に大変不便な場所にあったため、売店、食堂を設立し、食料品、文房具、雑貨、治療材料等、必需品を供給するとともに教職員や附添人等に対し食事の賄い供給を行い便宜を図った。

(3) また、用達部、附添婦の供給事業と併せて理髪部を委託にて開設、便宜を図った。

大正5年当時 東北帝国大学医学部附属医院正門
大正5年当時 東北帝国大学医学部附属医院正門

 以後、時代の変遷と共に必要に応じて新たな部門を開設して事業を推進し援助業績の向上に努めて来た。

 第二次大戦中には物資の供給が思うにまかせず休業に近い状態が続いたが、当時の職員が苦境に耐えながら努力を続け終戦を迎えた。

 戦後間もない頃は病院側の要請を受け、入院患者のため構内で鶏を飼育し生卵の供給を行い、並びに病室暖房のため薪炭の供給も行った。

内務大臣の設立許可証
内務大臣の設立許可証
 戦後の混乱した社会情勢が徐々に安定化するとともに人口も増加して飛躍的に発展を続ける国内経済情勢に呼応して大学病院では診療科や病床等の各種診療施設も整備充実し、入院・外来患者数は急激に増え続けた。

 然るに、大学病院では拡大しつつある病院業務に対し国の人員・予算が十分でないため病院の援助団体である本会に対し医療の一環としての各種補助業務について委託要請してきた。本会ではそれに応え昭和34年には基準寝具.35年には保険調剤業務.62年には構内車両整理業務そして63年には基準給食補助業務等の各種補助業務を行ってきた。

 その後、その事業の一部は大学側の都合により民間業者に移行されたものもあるが、売店・食堂・薬店・調剤薬局・患者サービスセンター等、病院内で不可欠のサービス事業は時代の要請に応えた内容に変革しながら活動を続け、そこで得た収益の全ては、創設時の本会の目的である『患者の救援並びに学術研究奨励助成』に使われて今日に至っている。